<武田信玄公ゆかりの地>

山梨県編

武田神社   要害城     

 

躑躅ヶ崎館は信虎・信玄・勝頼と三代六十年の居館となる。周辺の遺構は国の史跡になっている。大正八年、武田神社として創建され大勢の参拝がある。
武田神社レポートを参照
  信玄生誕の地
大永元年(1521年)、
躑躅ヶ崎館の北にある、要害城・積翠寺で誕生した。
こちら
□ 山梨県甲府市古府中町 HP   □ 甲府市上積翠寺町
     
●平塩の岡   武田八幡神社

 

甲斐源氏の祖・新羅三郎義光の子義清は常陸国武田郷より父子とも甲斐国へ配流され、市河荘を支配。甲斐源氏発祥の地である。
甲斐源氏旧跡
  武田家代々の守護神である。本殿は重要文化財に指定されている。
□ 西八代郡市川三郷町   □ 韮崎市神山町 (
     
●新府城   恵林寺

 

1582年、武田勝頼は韮崎に居城を移した。長篠の戦いに敗れ家臣が相次いで離反。信長の侵攻で城に火を放ち、小山田信茂の進言で郡内へ。しかし、またしても小山田謀反、天目山へ向かう。在城60日余だった。   信玄の菩提寺。信長の侵攻で快川国師ら高僧らが焼き殺された。快川国師の「心頭を滅却すれば火も自涼し」は有名。境内の宝物館には多くの信玄遺品が展示されている。
□ 韮崎市   □ 塩山市
    境内の信玄の墓
     

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