戦国乱世を生きぬいた武田家の女たち

 

大井夫人

信玄の生母


武田信虎の正室で、戦国の英雄武田信玄の母である。

父・大井信達は、駿河の今川氏親を後楯にしきりに武田信虎に対抗したが抗しきれず武田に降り、娘を人質として送り信虎と和睦、信虎二十四歳・大井夫人二十歳だった。
子は、晴信(信玄)・信繁・信廉と二人の女がいた。

子供の教育には厳しく、また慈悲深かった。大井氏菩提寺長禅寺に入り将来の甲斐国主の教育に当たる。信玄が戦国大名のうちで目立って教養豊かで四書五経や孫子・呉子に通じ、詩歌や書画を愛したのも大井夫人の配慮の賜といえよう。

一五四二年、子晴信が「父信虎を駿河へ追放」する事件が起き、夫と息子の間で思い悩む。
一五五二年、夫と再会することなく五十五歳で世を去った。

三条夫人

名門三条家の姫


武田信玄の正室。

公家の生まれで、姉は細川晴元に嫁し、妹は本願寺顕如の裏方となった。
信玄との間には、義信・信親・信之と女子二人(北条氏政室・穴山信君室)があったが、つぎつぎと不幸が襲う。

三男信之は早世、次男信親は盲目に、嫡男・義信は「謀反事件」で自刀。長女・北条氏政室は、甲府へ送り返され剃髪・黄梅院となりその年没した。

数々の悲運を背負い一五七〇年に五十歳で世を去った。

諏訪御料人

仇敵信玄に愛された悲運のヒロイン


南信濃の豪族・諏訪頼重の娘で、人質として甲府へ移る。
後に父頼重を殺されるが、仇敵信玄に側室として迎えられ寵愛を受ける。

武田家の世継ぎ・四郎勝頼を生むが二十五歳の若さで世を去った悲運のヒロイン。

後世、絶世の美女とうたわれ由布姫・湖衣姫などの名前で知られている。
油川夫人

信玄に愛された最後の愛人


武田の子族・油川信友の娘・油川夫人は、十七歳で召し出され以降4人の子を産んだ。
子は、仁科五郎盛信、葛山十郎信貞、信松院、於菊御料人をもうけている。

他の妻妾と違い、信玄と同郷と言うこともあって甲州一の美女といわれた夫人は、信玄の愛を一身に受けた。
正室・三条夫人との距離が遠くなる中で、この油川夫人や禰津夫人などが晩年の信玄の心の拠り所であったのだろう。
禰津夫人 信玄の側室
 
信濃国小県郡の禰津城主・禰津元直の娘で、信州一の美女と謳われた。
子は、米沢武田家の祖信清、真理姫 をもうけている。

彼女の詳細については不明。

北条夫人

武田勝頼の正室


相模・北条氏政の妹で、一五七七年武田勝頼に嫁いだ。

長篠の敗戦後に離反が相次ぎ、戦局は一変。夫人は勝頼に御加護あれと武田八幡宮に祈願文を奉納した。

一五八二年、織田・徳川軍の侵攻で新府城より岩殿城を目指すがまたも小山田信茂が離反し、天目山へ向かうこととなる。
勝頼三十七歳・夫人十九歳・信勝十六歳であった。
定恵院

信玄の姉・今川義元室


武田信虎の長女・定恵院は、駿河・今川義元に嫁ぐ。

一子氏真をもうけたが、天文十九年、三十二歳で世を去った。
残された子氏真は十三歳であったが凡庸で大国今川家を支えきれずに滅亡へ。

禰々御料人

信玄の妹・諏訪頼重室


武田信虎の六女で信玄の妹である。

信虎が信濃・諏訪氏との友好を深めるために諏訪頼重に嫁がせた。
一子寅王をもうけたが、諏訪頼重は兄・晴信に攻められて降伏し甲府へ送られて自刀させらてしまう。
翌年、禰々は十六歳の若さで世を去った。
諏訪家嫡男寅王君はいずこか。

黄梅院

信玄の長女・北条氏政室


母は三条夫人で、信玄の長女。

一五五四年、十二歳で相模・北条氏政に嫁ぎ、嫡子氏直ら四人の男子を生んだが、武田・北条両家の破綻で永禄十二年に甲斐へ送り帰された。
絶望の中、同年六月、二十七歳の若さで死去。

見性院

信玄の二女・穴山信君室


母は三条夫人で、信玄の二女。

武田家親族の穴山信君に嫁ぐ。信君の母は信玄の姉「南松院」でいとこ同志である。

穴山信君は、武田家滅亡前に勝頼より離れ武田家存続を願い、徳川家康に従ったが本能寺の変で帰国途中に横死。一五八七年、子・勝千代も病死し仏門に入る。

真理姫

信玄の三女・木曽義昌室


信玄の三女で、母は禰津夫人。武田の軍門に降った木曽義昌に嫁いだ。
短命な武田家の女達の中で九十八歳の長寿を全うした。

信玄没後、木曽義昌は勝頼を嫌い織田信長に通じたため、真理姫は怒り木曽御岳に身を隠した。
御岳黒沢に隠棲すること六〇余年、正保四年に没した。

桃由童女 信玄の四女
 
永禄元年ごろに死去。
生母など詳細は一切不明。
信松院

信玄五女・松姫


信玄五女で、母は油川夫人。
松姫・於松・新館御料人ともいう。

七歳の頃、織田信長の長男・織田信忠(奇妙丸)と婚約。
信玄は、四男勝頼と養女遠山氏を結ばせたが、夫人は信勝を生み死去。信長は武田との縁切れを恐れ、松姫との婚約を懇願した。

一五七二年の三方ヶ原合戦で織田が徳川を救援することで、武田と織田は断交。松姫の婚約も破談となった。

武田家滅亡後は、八王子に逃れ生涯独身を通し、織物を広めた。
一六一六年、五十六歳で死去。
甲斐御前

信玄の六女・菊姫


信玄六女で、母は油川夫人。

信玄が結んだ長島顕証寺左堯との婚約があったが、左堯は織田信長に滅ぼされ婚約は解消。

兄・勝頼の長篠の敗戦で甲越同盟の政略として上杉景勝に嫁ぐ。
上杉家では、甲斐御前・御寮人様と領民から親しみをうけた賢人であった。

一六〇四年、京都上杉別邸にて四十七歳で死去。


政略の道具にされながらも、家名存続を願い
戦国の世を生き抜いた女たち。
かくもはかなき人生かな。




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