『孫子』とは中国・春秋時代末期、(紀元前480年頃、2500年前)
呉国の闔廬に仕えた孫武が書いたと言われる兵法書で、
「始計・作戦・謀攻・軍形・兵勢・虚実・軍争・九変・行軍・地形・九地・火攻・用間」
の十三編からなります。
武田信玄の旗印『風林火山』は、その『孫子 軍争篇第七』の一節から取ったもので
故其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山、難知如陰、動如雷震、掠郷分衆、廓地分利、懸権而動、先知迂直之計者勝、此軍争之法也。
これが原文です。
ここ、↓の四文字です。
其疾如風 疾(はや)きこと風の如く
其徐如林 其の徐(しずか)なること林の如く
侵掠如火 侵掠すること火の如く
不動如山 動かざること山の如く
難知如陰 知り難きこと陰の如く
動如雷震 動くこと雷の震うが如く
掠郷分衆 郷を掠(かす)むるには衆を分かち
廓地分利 地を廓(ひろ)むるには利を分かち
懸権而動 権を懸けて而して動く。
先知迂直之計者勝 迂直の計を先知する者は勝つ。
此軍争之法也 これ軍争の法なり。
思想は戦わずに勝つ、弱をもって強に勝つを理想としており、まさに武田信玄が目指した思想です。
また、『謀攻篇』では
百戰百勝、非善之善者也、不戰而屈人之兵、善之善者也。
・・・百戦百勝は善の善なるものに非ざるなり、戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり。
知彼知己、百戰不殆。
・・・彼(敵)を知り己を知れば百戦殆うからず。
など軍事における重要な教えが書かれており、多くの人々に影響を与えました。
元々、戦国時代ではずば抜けた才能・頭脳を持った武田信玄は、これらの教えを愛用し、優秀な参謀や家臣達の意見を重用して実践したからこそ、あのように強かったのでしょう。
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